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前にも後ろにも夢なんてない

最近あまり聞かなくなったけれど、一時期電子書籍に対する議論が非常に活発だった時期があった。もしかしたら、自分がそういう情報を進んで収集しなくなっただけで、まだまだ自分の知らないところで「電子書籍派VS紙の書籍派」のバトルは続いているのかもしれない。だが恥ずかしながら僕も一大衆のひとり。こういう種類の人があまりこの議論に興味を持たなくなったということは、この話題についてある一定の区切りがついたのかもしれない。

 

みんながどういったツールを使って、どれほどの読書体験をしているのかさっぱり分からん。そういうことはトーハンさんとか、どこか大きな書店さんが明確な数字を出してくれるでしょう。

 

自分のごくごく個人的な最近の読書体験について話すと、Kindleを買ったからといって紙の本を購入する頻度が減ったとは思わない。雑誌とか、古本の文庫本なんかは未だによく買っている。しかしアホな浪費家である僕は、kindleストアでもよく本を買っている(雑誌は別。非常に読みにくいから買いません)。これが非常に便利。暇つぶしになるし、(お金と電波さえあれば)買いたいときにすぐ買える。「紙の本独特のめくったときの質感が……」とか知ったこっちゃないわポケと一蹴するぐらい、塩梅が良いのです(もちろんまだまだ改良の余地はあるのだけれど)。

 

便利なものは広がっていくのが世の常。どんどんこれからも広まっていくんだろうな、むしろみんな使ってもっとどんどん便利になればきっと価格も安くなるし良いのに、と思っている。

 

だが面倒なのが、ここからの話である。

 

僕に取って紙の本(雑誌)をつくるというのは非常に楽しい作業なのです。だから問題が非常にややこしくなってくる。ものをつくる作業は何でも結構やって見ると楽しいでしょ。質量のあるものを生み出すことはある種の快感(中毒?)を生み出す作業なのです。

 

 

そもそも紙の本をつくるためには、まず紙を選ぶ作業がある。どんな綴じ方にするかを決める。ページ数も決めなければいけない。

 

「あぁ、この紙の質感結構良いし、写真も映えるからぜひこれ使いたいんだけれど、この紙でこのページ数にするとどうしても予算が莫大になってしまう……。」

 

そんなときには断腸の思いでカラーページを少しモノクロページに変更したりする。

 

紙のことに興味がある人は、お近くの印刷会社に務めている友人に聞くか、ネットで調べてみてください(印刷会社の方の話はいつもどんな紙があるとか、紙の特性を教えてくれるので非常に面白い)。本で読みたい方は「新入社員のためのテキスト1 本づくり〈第4版〉」(社団法人 日本書籍出版会)が結構面白いです。つくられた物の裏側にある、技術というかルールというか、そういうことを調べるのっておもしろくありませんか。つくられた物の種類だけ、こういう話があるのでしょう。

以下、( )内は文章内に組み込めなかった無駄文章。

(ちなみに紙には嵩高紙というのがあってこれは普通の紙より空気を含んでいる。どういうときに使うかというと、あまりページ数を増やせないけれど、厚さを出したいときとかに使う)(どうでもいい豆知識だけれど紙には「目」がある。目は紙の線維の流れのこと。紙の目は平行な方向には伸び縮みがすくなくて、直角の方向には伸び縮みが大きい、、らしい)(基本的に紙の本は16ページを1折りとして、それが何折りあるかでページ数が決まってくる。もちろんそれ以外のページ数もできないわけではないけれど、いろいろあって16ページあるいは8ページの倍数でないとお金が無駄になる。)

 

 

 

 

本の装丁については編集者だけで決めるのではなくて、デザイナーさん印刷会社さんといろいろな人と相談しながら決めていく。そして表紙もどんな表紙にするのか、PP加工(ビニールをかけてピカピカにする。高級感を出したいときとかに使う。ちなみに少し前の流行は一部分だけPP加工をかけること。今度本屋さんで見つけてみよう)をかけるのか、かけないのか、そういうことを決めていかなければならない。

 

さて装丁が決まったら執筆者にあたりをつけて(実際、作業もっと同時並行的に遂行されていく)……とか説明すればキリがないのでここらでやめておく。あとは多分想像でなんとなく分かるでしょう。ちなみに僕は赤入れするのも好きだし、赤入れをされた修正された文章と修正以前の文章を比較する、「突き合わせ」と呼ばれる作業も大好き。もはや、何を言っているもか分からない人もたくさんいるかもしれないけれど、とにかく結構いろいろやることが多くて面倒なのである。

 

だけど、この面倒な作業がやってみると意外と楽しい。

 

 

印刷の色の出方はは出たとこ勝負なところがあるし(もちろんそのためにテストである色校正と呼ばれるテストをしたりする。面白いのはパソコンで見ていた色と印刷で出た色が結構違いがあるということ。厳密にいうと、パソコンの画面ごとに色の出方って結構違う……らしい、そのために使用しているパソコンの色の出方を統一させたりする人もいる。自分はやったことない。)

 

校正用紙ではバラバラだったページが1折(16ページ)になり、折りがいくつか合わさって“一冊の本”として出来上がってくるのは結構感慨深いものがある。

さらにさらに、そんな本が書店に並んで、何かの間違いで売れに売れて、増刷が何回もかかってくれれば、本当に嬉しいし、儲かるし、私の財布はほっくほく。もう本当にあざーっす!!という感じなのです(いや、サラリーマン編集者は実際にそんなうまい話ないのだけれど分かりやすく書くと、です)。

 

できればこういうことでお金を稼ぐことということを自分が飽きるまでやっていたいな、と思うけれども、電子書籍が主流になった時代は、紙を選ぶなんて作業なんて必要なくなってくる。飽きっぽい性格をしているので3年後には何をしているか分からないし、ここまで書いておいてなんだが、別に編集という仕事にこだわりを持っているわけではないので、そのときに面白そうな仕事があれば転職しても全く問題はない、と思っている。しかし自分が10年後もこの仕事を楽しいと思っているのにも関わらず、こうした仕事ができなくなってしまったら、それは非常に残念だ。

 

下のPDFファイル(2010年度第7回物学研究会レポート)ではチームラボの猪子寿之さんが「質量って、ださい」と言っている。

http://www.k-system.net/butsugaku/pdf/151_report.pdf

 

本なんて本来質量を持たないはずの“情報”にわざわざ質量をつけているだけに、猪子さんの言葉を借りれば“ダサい”ものの最たる例かもしれない。

 

便利なものがどんどん力を持っていくのが世の常。これからどんどん技術が進歩していき電子書籍が主流になったときに自分は何をしているのだろうか。「最近はweb編集者なんて仕事もあるみたいじゃない、今までやってきている楽しい企画を考えたり、ライターの人と楽しいことできたりするし、それでいいじゃない」と思うかもしれないけれど、それってあれですよ、山登りが趣味の人に、ヘリコプターで頂上に行けばよいじゃない、と言っているようなものですよ。無駄なことが楽しいという、逆説的な論理が存在する世界もあるのですよ。

 

 

徐々に本づくりは、一部のマニアックな人たちだけが集める嗜好品のようなものになっていくのだろうか。現代でいうアナログレコード的な存在になっていくのだろうか。

「そんなに本をつくるのが楽しいんならば趣味でやれば良いじゃないか」と思うかもしれないが、冗談ではない。こんな金がかかる趣味なんてお断りだし、幸いにも趣味みたいなことを、仕事として、これでお金を稼げているからこそ意味があり、そして尊いのだ。

 

 

そういえば最近同じ大学に通っていた紙の雑誌をつくっていた編集者の同級生が、webのライター?編集者?に転職したらしい。結構ショックを受けたが、時代はwebなのね……ということを、自分自身の問題として考えるよいきっかけにはなった。

いや、でもねwebの世界は生き馬の目を抜くような世界。最近薄々感じているのですが僕のような放蕩野郎、呑気な小デブがゆうゆうと仕事できるような世界ではなさそうなのです。

 

 

そうなったらもう知らん。そうなったら僕の第二の夢である、和菓子屋さんか、花屋さんで働くよ。でも全くスキルを持っていないから、レジ打ちとかしかできないのかなぁ……。時給300円とかかね。悲しい、悲しすぎる。

 

 

10年後自分は何をしているかね、まだまだ未来ある26歳の秋なだけに、不安なようで結構楽しみだったりする。まあ意外と何も変わらずぶくぶくと太っているだけかもしれないけれどね。ただ“地獄を進む者が 悲しい記憶に勝つ”のである。