表1の話

何事も、というわけではないが、今自分が仕事として取り組んでいることについては、とにもかくにも金を稼がなければ始まらない。

いや、実際金自体は稼げているが、もっともっと雑誌が売れて、利益が出れば大変ありがたい。たくさんの人が雑誌を手にとってくれれば、それだけ多くの人に認められているということであり、もちろんそういう部分でも大変嬉しさは感じるが、何より売上が上がれば給料があがる。そうした側面から見ても、雑誌が売れてくれると大変ありがたい。

何事にも通じることかもしれないが、表紙の良し悪しがその雑誌の売上を大きく左右する、、、気がする。それ以外にも書店でどれだけ平積みで展開されるかという部分も売上に大きく関係してくるが、編集者の立場としては書店員さんが売り場でどのように雑誌を売っていくかという部分まで口を出せないし、口を出すつもりもない(細かく言えば、本のサイズを変形させることで面陳されやすくなる部分はあると思うが、本当に細かい話なので割愛)。

 

ということで、自分たちは金を稼ぐためには、表紙にこだわることが非常に大切だと思っていて、表紙にはこだわりを持っている。ようやく本題に入ってきたところで文章を書くことに飽きたのでまとめるが、こんな表紙を今月、先月とつくってみた

 

《2月号》

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《3月号》

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どちらもシーズンオフということで、オフっぽい写真をテーマに撮影してみたが、それぞれ味わい深い表紙になったのではないかと思っている。特に2月号の表紙については弱冠22歳、未来のスーパースター候補の今、をよりフレッシュに表現できたのではないかと思っている。

 

これらの雑誌がどれだけの売上を叩き出してくれるのか……、出版業界には返品制度があるため数ヶ月後にならないと正確な売上を測定することができない。僕たちが制作している雑誌は非常にニッチで、マニアックなジャンルにもかかわらず、ここ数年開幕の時期は東京の出版社から関連した商品がバンバンと敢行されている。柳の下のドジョウが0匹になるまで釣り上げるかのように、じゃんじゃん出されるので、こちらとしては商売上がったりの部分があるが、それでも長く対象を観測してきたからこそ、表現できるものがありますし、また自分たちが商売を続けてくためにはそういう部分をしっかりと提示していかないといけない。

 

少しは良い表紙ができたはずです。進んでいる方向が間違っていないことを祈り、今後も素晴らしい表紙と、雑誌をつくっていきたいものです。

文章について

昔から本が好きで、将来は本をつくる仕事に就きたいと思っていた。

 

ありがたいことに、今は雑誌編集者として働かせてもらっている。だが、文章を書いても書いても全く自分の納得いく文章をかけている気がしない。書けば書くほど、どんどんつまらない文章を書いている気がする。まだ昔の方が面白い文章を書けていた気がする。

 

文章は思考だ。ということは、文章がつまらなくなってきたということは、自分の思考がつまらなくなっているということだ。

 

その理由について自分なりに考えたが、やはり締め切りに追われ、仕事として書いているからだと考えた。

 

したがってこのブログの文章については、自分の文章のリハビリのために、あるいはもっと文章力をつけるために、その目的のために書いていきたいと思う。昔からさまざまなことに冗長なことには定評がある人間なだけに、今後はこちらのブログについては簡潔に、それでいて他人にとっても、そして自分にとっても面白いと思えるような文章を書いていきたいと思う。

 

よろしく候。

 

最近感じたもやもやしたこと

すみません。のっけからどうにも青臭いタイトルをつけてしまって……。

基本的にはあまりこういうことにつっかからないタイプだと自分では思っていたんですが、今回のことはどうにも最初に覚えた違和感が周辺の人の反応を見るとどんどん大きくなって、そしてまた新たな違和感を覚えてきたので書いておきたいのです。

 

ゴシップ的なネタにほいほい飛びついてしまう自分としては、今回も反射的に「ほうほう面白いじゃないか」と悪趣味な気持ちで見ていたのですが、段々と編集者の人に同情の気持ちが湧いてきた。編集者と作家さんの手紙ってラブレターのような、その人以外にはあまり見られたくないようなものなんじゃないだろうか。「うるせー!面白ければ何でもいいだろ!」と思う人もいるかもしれないけれど、それって乱暴な論理だと思ってしまう。いや自己責任というかなんというか、もちろん編集者の人が書いた手紙だし、正真正銘あなたが書いた手紙だし別に虚偽の内容を吹聴しているわけじゃないからいいじゃないか、と思うかもしれないけれど、それでも人からの手紙(しかもあまりよくない内容)をTwitterに公開することはあまり良くないことなんじゃないかな、と思った。

 

これがまずこの文章を見て思ったことです(他にも、作家さんへのやり取りに手紙をつ使うあたり、昔勤めていた出版社の編集長がよくやっていたなぁ。文芸春秋のロゴが入った便せんかっこいいなぁ、とか色々ありますが)。

 

そしてこの人へのリプライを見ていくと、「未だにこんな悪しき風習がまかり通っているなんて!」「編集長の偏った思想で文學界がつくられているなんて!」という風に解釈できる内容のものが結構ある。自分は文芸誌の編集をやったことがないし、文芸春秋にも勤めたことがないけれど、出版社だって会社だし、雑誌編集者にも序列があって上司(編集長)はいるし、下っ端の編集者はいる。文芸誌であれば自由な言論が保証されているという悲しい妄想を抱く人がいるかもしれないが、それはあまりにも物事を知らなさすぎではないかと思ってしまう。基本的につっかかるような文章を書きたくないえれど(面倒なことになると嫌だから)、それでも今回のことはどうももやもやした気持ちがどんどん大きくなっていくのです。

 

掲載される作品は編集者の思想や信念というフィルターを通して選別され、掲載に至る(もちろん、そこまでに編集者の赤字なんかも当然入ったりする)。当たり前すぎて別に説明する必要もないかもしれないが、位が高くない編集者が何かをするためには、上司(編集長)への報告•連絡•相談が必要であるし、最終的には編集長が責任を持って、作品の掲載の可否を決定したりする(んじゃなかろうか。文學界という一つの雑誌をつくっている限り、担当編集者だけが担当ページだけに責任を持っているのではなくて、必ず一冊の商品に対して責任を持つ人がいるはずだ)。今会社で働いている人は少し抽象化した後に、自分の仕事に当て込んでみれば、これはごくごく普通のだということが分かるはずです。

 

自分の価値観にそって判断した編集長は編集長としての責務を全うしただけで、決して間違ったことはしていない(結果的に売れる作家を取り逃がしてしまった、ということであれば会社的には問題かもしれない)。むしろ批判されるべきは自分が惚れ込んだ作家の作品を無理矢理にでも掲載にこぎつけることができなかった、担当編集者の力•情熱のなさなんじゃないかとか思ったりした。

 

この作家さん自身「雑誌は編集長です」と言っているあたり、よく事情は分かっているのだと思う。僕も全くその通りだと思う。よくも悪くも雑誌は編集長だ。編集長が変わって変わらない雑誌なんてほとんどない。どんな雑誌であっても編集長の思想•信条が色濃く反映されてくる(もちろん担当編集者の想いも)。だからこそ、面白い、というかそここそが楽しむべきポイントだとも言えると思う。

 

こんなこと書いていると、編集という仕事、出版という業界を知らないやつは口を挟むな、と言っているように聞こえるかもしれない。自分としては決してそんなつもりではないと思ったけれど、よくよく考えてみれば半分そうで、半分違うかもしれない。おそらくみんなも一度くらいそんな経験があると思うけれど、事情を知らない全くの素人に悪意むき出しでつべこべ言われたらきっとイラっとするはずだ。大切なのは素人には発言権がないというわけではなく、のっけから批判ありきで話してくるということです。

 

そもそもどんな情報であっても、ほとんどの場合“編集作業”はなされているはずだ。巧妙にそれを隠そうとしている人もいるけれど、純水で無色透明な情報なんてないはずだ。

 

今回のことで「出版業界のそういう古い体質がもはや恐怖ですね」とか言う人もいるかもしれないが、

 

うるせー、出版業界とひとくくりにすんじゃねー! そもそも古いことを絶対的に悪いと思ってしまう、盲目的なその考えがもはや恐怖だわ! とか思ってしまうのである。

 

いろいろ言いたいことあるかもしれないけれど、知り合いだったら電話して意見を聞かせてください。知り合いじゃなかったらそっと無視してください。

まだまだ書き足りないポイントがある気がしますが、眠いので寝ます。また気分が乗ったら追記します。

以上、最近もやもやしていることでした。